丹波 バス旅 (上)

この前、以前から「暇だったら回ってみようかな」程度の軽い周回コースをバス旅して来たのだった。車でならば数え切れないほど通っているし、相当以前にも路線バスで一度乗車もしている。全行程の大概が鄙びていて、心に優しい地域ばかりである。別に何かに憔悴しきりの毎日でもないのだが、何も考えずに「ボーッと」しながら乗るにはうってつけな路線ばかりである。私は全国的にみて、中国山地の鄙び方が全国一なんじゃないかとさえ思っている。丹波山地中国山地の最西端にあたり、地元京都市からはとても近い。京都市北部の山間地域も、丹波山地と一体化しているので、まさに近場なのである。

バス路線としては連続しているのだが、経営が違う三つを乗り継ぐことになる。如何せん過疎地ばかりだから本数自体が多くない。巧い具合に接続しているものになると、日中に於いてはかなり限定されてくる。そこは文明の利器であるスマホを駆使して行程を組み上げた。私がスマホ機能を使う割合は、調べるが八割程度を占めていると思う。何か毎日調べまくっている感じである。最近は欅坂に嵌まって、MVを見る確率がかなり上昇しては来ているが・・。

始まりは自宅から自転車でJR嵯峨野線嵯峨嵐山駅へ。JR西日本アーバンネットワークの路線に愛称を付けてからかなりなるが、今や正式名称より遥かに正式名称然としてきている。二十代より下の年齢の人は多分、東海道線山陽線桜島線片町線なんて名称を使ったことなんてないんじゃないかと思う。京都市での不動産やその他チラシ類でも、JR京都線嵯峨野線琵琶湖線が当たり前となっている。JR東日本での宇都宮線の定着具合が気にかかるが、少なくともアーバンネットワーク内での愛称付加は成功しているとみてよいだろう。因みにJR西日本は、上りや下りという呼称もしていない。

観光客で賑わう嵯峨嵐山駅にて、日吉駅までの乗車券を購入。ICOCAは持っているし、10月からはポイント制度も新しく出来たが、平素は何となく使わないでいる。京都市バスならばICOCA使用で、バスを乗り継げば格安になる。京阪バスならば1日乗車券を載せて貰える。その他の各社でもICOCA利用でのお得な制度を設けているところがある。PiTaPaは不便ではないが、結果論としてクレジットカードと同様なので、審査があるから面倒くさいし、全員が必ず審査に合格するとは限らない。阪急グループの意地があるから無くなりはしないだろうが、Suicaと各地のカードの紐付けが本格化してきたら、もしかして淘汰されていく可能性は否定はできないだろう。

快速園部行きに乗車。車内は立つ人は殆どいなかいが、結構な乗り具合であった。半時間しか乗らないから、そもそも座る気も端からない。先頭車に陣取ってかぶり付きだ。バリバリ鉄道ファンそのものであるが、他人の眼なんか知ったこっちゃあない。交通機関は移動行為ではない、娯楽なのである。折角乗るのだから、最高に楽しむ工夫を凝らすのである。寝て過ごすも、ボーッとしているのも、何をするも人の勝手だからそれはそれで構わない。ただ私は鉄道ファンなので、そのような損な過ごし方は選ばない、ただそれだけである。

保津峡の渓谷をトンネルと橋梁で貫いて行く。付け替え以前の旧線時代を知るものからすれば、その速達性は驚くばかりである。福知山線の旧線も同様に付け替えられた。良く似た沿線環境ではあるが、大きく違うのは途中に住宅街があるか否かである。福知山線の場合、西宮名塩駅が開業した影響により、駅周辺に元々あった住宅地が更に拡大した。それまで宝塚までバス利用だったのが、開業により宝塚や梅田まで電車一本なのだから発展もするだろう。今や西宮名塩駅の乗降客は二万人程度までになっている。

片や嵯峨野線の場合、保津峡の渓谷はあるが、嵯峨嵐山駅亀岡市側の平地部にある馬堀駅までには保津峡駅しかない。々ばかりであり、保津峡駅の駅勢人口はゼロである。離れたところにある水尾集落も山あいにある静かな里だ。福知山線武田尾駅みたいに温泉も無ければ、バスで多くの利用客を運んでくるような地区も無い。保津峡駅の地元客利用は微々たる数でしかない。逆に言えばそれだけ自然の只中にあるということなのだが。依って嵯峨野線丹波地方と京都市を結ぶのと、市内輸送及び観光客が大半である。市街地最後の嵯峨嵐山を出ると、人気スポットである竹藪の小径にある野々宮踏切を越える。嵯峨野トロッコを分かち、小倉トンネルに入る。蛇行する桂川(保津川)に対して、直線的に敷かた嵯峨野線。二つのトンネルに挟まれた橋上にホームがある保津峡駅を通過。唯一橋梁上だけが明かり取り区間であり、その時だけ渓谷がチラリズム。タイミングが合えば、筏流しが起源の保津川下りの舟が見えることも。旧線時代はお互いに手を振り合う光景もあったが、それは今はトロッコ列車が担っている。

この区間で一番長い地蔵トンネルを抜けると、いきなり亀岡盆地が広がる。トロッコ線と並行し、トロッコ亀岡駅が過ぎ去り馬堀駅を通過。かつては大きく湾曲した線形で、その中に駅が設けられていた。付け替えにより直線状となった。駅のある篠(しの)地区は、山陰街道上に連なる歴史ある集落で、往時の面影を偲ばせる町並みである。その街道上で、暴走した車が通学する小学生を次々にはねて死傷させた、痛ましい事故が起きた地区でもあるのだ。

車窓の左側は住宅地で、右側は桂川の氾濫原に広がる田園地帯と二分されている。新保津大橋が見えて来て、あちらは高架で越えて行く。橋の袂付近では毎年花火大会が開催されている。サッカー場建設の広大な工事現場が近づくと亀岡駅に到着した。駅の真裏で直結したサッカー場。亀岡盆地を流れる桂川は、トロッコ亀岡駅付近でいきなり山々に阻まれ川幅が狭くなっている。その為に大雨が降れば必然的にその手前で滞留する。その氾濫原は耕作地としてしか利用されていなかった。洪水時は遊水池の役割を担っていたからである。中流域に日吉ダムが完成し、洪水調整の役割を担っている。だが、ダムより下流域で大雨が降れば別で、その時は亀岡盆地は洪水に見舞われる。旧市街地は川より高い位置にあるから水が浸くことは稀だが、その境界線に敷かれているJR線までは水が浸くことも少なからずあった。その遊水池の役割を果たしていた田んぼを潰してサッカー場が建てられている。その面積分の水がどこに影響するのかが気にかかる。

亀岡駅では半分程度の下車があったが、高校生の下校生もあり、殆ど変わらない乗車率で発車したのであった。